百聞は一見に如かず。
チャップリン『独裁者』(1940年)より
いまから80年以上も前の作品なのに、チャップリンの動きは、まったく、古びていない。いないどころか、新しくさえある。ここまで軽やかに、コミカルに、明るく、柔らかく、でも俊敏にキレよく、動けた・動ける役者がいた・いる?
僕の記憶では、たぶん、ジーン・ケリーくらいしかいないんじゃなかったかな、、、
リズムを体現=表現できれば、永遠の生命を獲得できる。1000年後、チャップリンの動画を見たとしても、1000年後の人は、Wow、というだろう。それほどまでに、リズムというのは、強力なのだ。生命の輝き、と言ってもいい。命が命である存在証明。
人が主体ではなく、リズムが主体で、人が客体。出口王仁三郎がいう霊主体従と体主霊従にあたる。霊=ガイストは、永遠で、肉体は有限。
ロト6の出目でも、ときどき、リズムが顔をのぞかせることがある。でも、「祇園精舎の鐘の声」式に、いつまでも”独裁者”たりえない。生成し、崩壊する。その見極めができれば、ロト6の当選確率も、幾分か、数%くらいは、あげられるだろう。
ちなみに、公正を期すために、書き記しておかねばならないことがある。林千勝の実証的研究により、チャップリンは、いわゆる、”あちら側”の人だったということが判明している。『独裁者』はヒットラーを風刺した作品風になってるけれど、ヒットラーに資金提供してたのが誰か知ってれば、チャップリンとヒットラーとは、同根でつながっていた”プレイヤー”だった納得する。
あと、レッドパージ=赤狩り、ね。
でも、そんな、思想信条とは関係なく、作品内のチャップリンは、とても、素晴らしい。
※追記
俺の屍を越えてゆけ
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