前提条件
この試論におけるベース(前提条件)として、シェルドレイクが言う“形態形成場”があるとする。形態形成場=記憶としてもよいだろう。問題は、ロトの各数字の記憶が“どこ”にあるのか? だが、われわれ自身の記憶ですら、脳内に物質的に保存されているとは限らないわけであり、とりあえず不問に付しておくことにする。いわゆる“記憶”に関しては、シェルドレイク著『生命のニューサイエンス』第10章-本能と学習、を参照。また複雑系の知見を総合すると、われわれの記憶は、ビデオテープのように物質的に保存されているわけではなく、ある種時空パターンとして保存されているという仮説が提出されているようである。飛躍した考えとしては、われわれの記憶構造は、ラジオと電波の比喩として語ることができると思う。記憶対象という電波に対して、われわれがチューニングすることにより、情報を取り出すことができる、という、、、その比喩からいけば、記憶違いは、バッドチューニングであり、連想記憶は、周波数帯がごくごく近い領域にあることにより起きる、と説明できるだろう。また、テレパシーも、同様に解釈することが可能となる。
“独立試行”という言葉がある。ランダム過程(例。さいころ振りなど)においては、各試行は独立しており、前後の影響関係はない、とするのが独立試行。理論系においては、純粋空間を仮定もしくは前提とするのは当然だろうが、それを現実世界にそのまま持ち込もうとするのは、どうか、と個人的には思う。狭い領域(=抽象理想空間)において適応できることが、全体領域(=この宇宙)においても、成立するとするのは、やや無理があろう(純粋な直線は、この宇宙には存在しない)。ロト6は独立試行であり、出目に連続性はなく、したがって、予想するのは不可能性であるとする一派に対しては、以下の一言で反論できる(and 反論すべし)。
この宇宙の連続性については、どう思うのか?
“宇宙の連続性”については、ボームの考えが面白い。
参考文献 → 松岡正剛の千夜千冊『全体性と内蔵秩序』 デヴィッド・ボーム -
形態形成場
シェルドレイクが言う形態形成場とは、以下のようなものである(ルパート・シェルドレイク著『あなたの帰りがわかる犬』391ページより引用)。
- 形態形成場は、これまでの物理学では認知されていない新種の場である。
- 形態形成場は、それにより形成される生物体と同じように進化する。それには歴史があり、形態共鳴と命名されるプロセスから生じる固有の記憶が含まれる。
- 形態形成場は、いわゆる形態場というより大きな場のファミリーの一部である。
「生物体」と限定されているが、無機・有機を区別する必要はない。実際シェルドレイク自身も、形態形成場の発現に、無機・有機の区別はしていない。もともとシェルドレイクが生物学からスタートしているために、たまたま「生物体」としたに過ぎない。
個人的な考えでは、形態形成場が作用するのは、この宇宙内存在すべてに対してであり、かつ、個体であり、個体が集合して類を形成するものすべてであると考える。シェルドレイクの挙げる数々の形態形成場の発現をうかがわせる例証からも、そう推論するのがベストである。
形態場については、シェルドレイクは以下の仮説を提示する(ルパート・シェルドレイク著『あなたの帰りがわかる犬』394-395ページより引用)。
- 自己組織化する完全体である。
- 空間と時間の両面を有し、振動的ないし律動的な活動の時空間的なパターンを組織化する。
- その影響下にある系を、特徴的な形態(その出現は形態場により組織化される)と活動パターン(その完全性は形態場により維持される)のほうへ引き寄せる。
- そのなかに存在し、形態場により組織化される形態ユニットないしホロンを相互に関連づけ、調整する。一つの形態場は、他の形態場を入れ子上のヒエラルキーないしはホラルキー(holarchy)に含む。
- 確率の構造であり、その組織形成活動は確率的である。
- 形態ユニット自身の過去との自己共鳴やこれまでのあらゆる類似系との形態共鳴によりもたらされた内部記憶を含む。この記憶は累積的である。特定の活動パターンがより多く繰り返されるほどに、より習慣化する。
ちと、訳が悪いよね(笑) 意味が分かりずらい。「系」は、おそらく「system」の訳語だろうけれど、そのまま「システム」と訳した方が無難だったろうと思う。
結局、形態場とは、目に見え触れることができる現実の“背後”に存在するもので、現実と相互関係にあるということである。また、現実世界におけるすべてのシステムを規制するものとして働く、ということだ。特に重要なのは、仮説6。
仮説6が正しいければ、ロト6自身の形態場と、ロト6以外の類似のシステムの形態場との相互関係という視点が出てくる。ミニロトだけでなく、過去存在した、また、現に存在しているすべての類似システムとの相互関係。現在、世界中でロトは実施されており、それらの活動パターンと、ロト6(もちろんミニロト)の活動パターンの相互影響関係というのが一つの研究課題してありうる、ということになる。
また、仮説6の「特定の活動パターンがより多く繰り返されるほど、より習慣化する」というのが重要。ロト6と類似システムとの相互関係を捨象して、ロト6単体だけで形態場を探求する場合、過去より多く繰り返された活動パターンを探りあてればよい、ということになる。その活動パターンが今後、より繰り返されることになるはずであるから(予想的中確率が上げられることになるはずであるから)。
ちなみに、仮説5は、科学としては堕落である。確率云々は卑怯だ。たしか、確率云々を言ったボーアに対して「神はさいころ遊びをしない」とアインシュタインは言ったそうだが、続けてこうも言ったそうである。「神はさいころ遊びをしない。が、人間の能力が限られている現状では、確率的に思考することは有益である」と。アインシュタインの相対性理論が“正しい”のかどうかは、じゃむは分かんないけれど、言ってることは正しいと思う。したがって、われわれとしては、確率云々するよりも、「人間の能力」を拡張すべきである、と主張したい。
というわけで、ざっと、形態形成場および形態場について見てきたわけだけれど、次回以降、ロト6における形態形成場(今後は、略して単に“場”と呼ぶことにしよう)の発現を見ていくことにしたい。その際、重要なポイントになるのは、ロト6における「個体」の単位のとり方であると思う。あと、ポイントになるのは、おそらく、人間の意識の関与、である。
0 件のコメント:
コメントを投稿