内海新聞というメルマガを購読しているのだけれど、去年の11月4日の第517号で、「現在闘病中」で「しばらく出せない」とあり、発行がしばらく途絶えいた。で、今年に入って2月28日に、「とりあえず、復活宣言します」というメルマガが届いた。
ちなみに、内海新聞というメルマガだけでなく、内海新聞というサイトもあるのだけれど、メルマガ復活宣言と同時にサイトもリニューアルしていた。
変貌ぶりにちとびっくりだったね。前は、かなり否定的で暴露的な文調が支配的だったのだけれどね。復活宣言のメルマガによると、「天使が次々と降りてきた」そうで、その天使から、態度変更をしろと言われたそうだ。
じゃむが、内海君の変貌ぶりにびっくりしたのは、2月くらいに、じゃむも態度変更が必要だなと思ったからで。そのシンクロにちとびっくりしたわけで。さすがに、じゃむのところには、天使は降りてこなかったけれど、“サイン”は、かなり頻繁に訪れてはきた。
オカルトすぎるな(笑) オカルトに関しては、別にブログを立ち上げているので、いずれ紹介します。ちなみに、オカルトっていうのは、隠れた知のことを言います。だから、オカルティズムとは、隠れた知を探し求める行為のこと。心霊写真とかに、きゃーっていうのは、オカルトではないです。ニュートンだってオカルト研究をしていたりしたわけで。特に異様な行為というわけではないです。おばあちゃんの知恵的なものも、ある種、オカルトであります。
Seek and Findというのが、物語の原型のひとつですが、確か笠井潔によると、このSeek and Findという物語形式は、神話から一歩退落した形式とのこと。神話→騎士道物語というのが一つの流れですが、Seek and Findというのは、騎士道物語にその原型を認めることができる。現在流通しているほとんどの物語は、Seek and Find形式です。探し求めるものが、外にあれば、たとえば、インディー・ジョーンズとかの冒険活劇とかになり、内にあるならば、本来の自分探しとなる。村上春樹だって、その形式に従ってはいる(彼の場合は、意識的かつ、たぶん確信犯的に)。ただ、大方のそういう物語は、自己の出自に関して無意識的すぎる。退落した物語を再生産しても、この世界には、富は増さない。
ちなみに、内海君の言う「天使」がリテラルに天使なのか、比喩なのか、象徴なのかは、まあ、どうでもよいことで。食いつく必要はない。リテラルに事実関係を云々するのは、何も生み出さない。ニヒリズム。事実よりも、現実を。そして、現実よりも、象徴を。
2 件のコメント:
じゃむさん。お久しぶりです。YASUです。
コメントを何処にしたら良いのかわからなかったので、こちらに致しました。
凄いですね。見て一発で気に入りました。これからも遊びに来ますので今後とも宜しくお願いします。
YASUさん、おつかれです~
お久しぶりです。
そうですね、コメントの記入の仕方がやや分かりにく過ぎますね(笑) 申し訳ないです。
いろいろと情報交換したいと思ってます。
これからも、よろしくお願いいたします。
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