2008/04/27 4:39に下書き保存してあった記事をrevise。
以下、下書き。その下に、改訂版を載っけます。
ロト6に関係のない記事です。
あるブログを読んでたら、コメント欄に、「ネットの良さは「多数の視点による批評」」というふうに書いてあったのだけれど、そりゃ違うだろう、と激しく反感を覚えたので、以下、つらつらと、違うだろうと思う根拠について書き記していきたいと思う。
まあ、一言で言えば、“正解は1つだけ”だと個人的には思ってるということなんだがね。
おおかたにおいて、「多数」を言うものは、暗黙のうちか、前提として、「絶対」というものを隠している場合が多い。だから、個人的には、「多数」を言う奴に対しては、基本的に、警戒心を抱くようにしている。
民主主義というのは、実は、自由主義と対立するものであり、また、民主主義とファシズムは、矛盾しない。「多数」の投票と、ファシズムは、矛盾しないのだ。
“真”の民主主義があり得るとするならば、それは、くじ引きでしか実現できないものだろう。
現実というのは、必然と偶然の混ぜ物であり、「多数」による投票とは、偶然性の排除のための詐術である。くじ引きは、そこに偶然性を再導入するものである。
政治家は「多数」による投票により選ばれるわけだが、実質的に国を動かしているのは、官僚である(単純化すれば、そういうことなる)。議会制民主主義とは、ごく一部の自称エリートが決めたことを、あたかも、国民に自分たちが承認したかのように思わせる“からくり”に過ぎない。われわれが選ぶべきなのは、官僚であり、できうるならば、くじ引きにより、官僚を選出すべきである。
以上が、2008/04/27 4:39ver.
以下、現在の僕が書き直したもの。
Yes, We can. I am cuming soon.
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