『鏡の伝説』J・プリッグス & F・D・ピートより
脳の非線形な特質について研究している人たちにとっては、記憶がどのように蓄えられ、取り出されるかは最大の関心事です。何年か前、有名な神経生理学者カール・プリグラムは、脳はホログラム的に記憶を蓄えているのではないかという仮説を提示しました。実験や患者の治療から、脳がある程度損傷しても長期の記憶は残ることが知られていました。神経科学者カール・ラシュレイは、迷路を抜けられるようネズミを訓練した後で、脳の一部を切除し、迷路の記憶がどこに蓄えられているかを調べましたが、ついにわからなかったのです。
最近の研究によれば、クルミほどの大きさの海馬状隆起と、それに付随した側面が記憶に関して重要な役割を担っていることが知られています。この部位に損傷を受けると、記憶力が著しく悪化し、長期間の記憶を持てなくなってしまうのです。しかし、だからといって海馬状隆起に記憶が蓄えられているわけではありません。記憶の出し入れに関与しているのです。プリグラムの理論によれば、記憶は脳の特定の場所に蓄えられるのではなく、脳全体に分散して蓄えられているのです。
プリグラムは、感覚器から入ってきた信号が脳で波の形に変換されると考えました。そして、その波が脳全体に干渉パターンをつくり、脳細胞のシナプスあるいは<位相空間>に記憶されると仮定したのです。これは、レーザー光線の干渉を利用して三次元の情報をフィルム上に記憶する、ホログラフィと似ています。ホログラフィの場合には、記録するときに使ったものと同じ波長のレーザー光線をフィルムに当てることによって、元の情報を引き出すことができます。おもしろいのは、光をフィルムの一部分にだけ当てても、多少ぼんやりとはしていますが、三次元の全体像が得られることです。記憶が蓄えられているはずの大脳皮質の大部分が損傷しても記憶が失われないという、驚くべき脳の能力との類似性にプリグラムは注目し、脳の記憶がホログラフィ的であるという説を提案したのです。
同書232㌻~234㌻より
シェルドレイクの形態形成場が正しいだろうと思ってる身からすれば、上記は、当然のものであると受け入れられるわけだが。「<位相空間>」=形態形成場である。
シェルドレイクの著書から、以下、引用。
高等動物の神経系は、アメフラシのような無脊椎動物に比べてずっと複雑で、個体間の差も大きい。学習された行動パターンがどのように維持されるかについては、まだほとんど解明されていない。だが、神経組織の特定の場所に物理学的または化学的「痕跡」が残されるといった単純な説明はできないことは、充分知られている。
数多くの研究の結果、哺乳類の学習した習慣は、大脳皮質や皮質下の部分にかなりの損傷が起きたのちもなくならずに保持されることが示されている。また、記憶の喪失は、損傷の起きた場所にはあまり関係なく、むしろ破壊された組織の総量と関係することもわかっている。K・S・ラシュリーは、数百回に上る実験の結果を次のようにまとめている。
「記憶の痕跡を神経系のどこか特定の孤立した場所に求めることは不可能である。学習やある活動の保持にはこれこれの領域がなくてはならない、と限定することはできても、その領域内の各部分はみな機能的に等価なのである」
これと似た現象は、無脊椎動物のタコにもあることが示されている。学習された習慣が脳の垂直葉のさまざまな部分を破壊した結果どのように保持されるかを調べたところ、「記憶はどこにでもあると同時にどこにもない」という一見パラドキシカルな結論に到達したのである。
これは、機械論的観点からはきわめて納得しがたい事態だと言える。これを説明するために、記憶の「痕跡」は脳のなかで、ちょうどホログラムに情報が干渉パターンの形で蓄積されるのと同じように分布しているとする考え方が出されている。しかしこれも、漠然として推論の域を出ない。
形成的因果作用の仮説の立場からは、これに代わる解釈が可能であり、それによれば、学習された習慣が脳の損傷後も保持されるという現象ははるかに理解しやすくなる。すなわち、習慣は運動場に依存するのである。運動場は脳のなかにはいっさい蓄積されず、その動物の過去の状態から直接形態共鳴を受けとることによって成立する。
『生命のニューサイエンス』ルパート・シェルドレイク 257㌻~258㌻より。
要するに、シェルドレイクが言うのは、脳は媒体である、ということだ。ラジオやテレビだという風にイメージすると分かりやすいだろう。それが正しいならば、いくら記憶の現実対応物を探し回っても、見つかるはずがないのは当然である。
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