まずは、Glenn Gould(グレン・グールド)演奏バージョン。
Vladimir Horowitz(ウラジミール・ホロヴィッツ)演奏バージョン。
クラシックに関する知識はあまりないのだけれど、どちらの演奏も、完璧に聞こえる。グレン・グールドのバージョンは、明快であり、ホロヴィッツのバージョンは格調高い。YouTubeのコメント欄に、グレン・グールドの演奏はテンポが速すぎ(演奏時間4分57秒に対し、ホロヴィッツは7分19秒)、というコメントが多いが、基本的にそういう外面的な指標と音楽性は関係がない。
結局、曲に対する解釈の違いや固有の演奏スタイルの違いに還元できるのかもしれないが、個人的には、両者の生れ落ちた言語環境の違いを上げておきたい。グレン・グールドはカナダのトロント生まれ。ホロヴィッツはウクライナ生まれ。
カナダのトロントだと英語なのかな。フランス語かもしれないけれど、リズム的には強勢言語(=アクセント言語)である英語圏のリズムだよね。ウクライナだと、ロシア語圏になるのかな。グレン・グールドの内的リズムは2拍で、ホロヴィッツの内的リズムは3拍だと、個人的には思う。
ちなみに、日本語は、等時拍。戦前の古い映画を見ると、そのセリフ回しがのんべんだらりと感じることがあると思うけれど、もともとの日本語というのは、そういう等時拍性が強かった。
ポピュラーミュージックシーンで、一音一語主義(=歌詞ひとつに一音)を破壊したと言われているのは、ドリカムだと記憶しているが、それでもなお、邦楽には、等時拍性が色濃く残っていると個人的には思う。邦楽でロックと言われているのを聞いても、個人的にはロックに聞こえないことが多いのは、そこに原因があると思う。
言語は、案外、その人間の思考(または意識)まで支配していることが多い。それに意識的でありたい。
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